自然科学部ブログ
今回は顧問だけですが、東日本大震災追悼のため宮城県の名取市に行きました。
(今回の記事では心的ストレス等に配慮し、震災や津波発生時の映像等は載せていません)
今回は少し長い記事になります。
実は私(顧問の川端)、前職で宮城県の東日本復興支援事業に従事しておりました。
そのつながりもあり、仕事の都合がつけば3月11日に宮城県名取市へお邪魔させてもらっています。
今回初日の3月11日は午前中に箕面学園付属幼稚園の卒園式があり、そちらのお手伝い後に出発です。
13:00頃の到着。本日は快晴です。
今回はレンタカーを使用し、ゆりあげ港朝市 / メイプル館へ移動です。
現地(閖上地区)に到着しました。
閖上地区は震災によって754名もの方が犠牲になった場所です。
現地に到着して数分後、たくさんの風船が空に舞い上がりました。
この風船は震災で亡くなられた方の遺族や支援者が参加し、亡き人へのメッセージを書いたものです。
風船を見送った後、すぐ横にある名取市震災メモリアル公園に移動しました。
モニュメントの周りには追悼のために集まった沢山の人がいます。
また周囲には国から寄せられた絵灯篭が並べられていました。
上部にソーラーパネルが付いており、日が沈むとライトが点灯して幻想的な風景になります。
14:46 防災行政無線、モーターサイレンにより吹鳴開始。黙祷。
その後は日和山へ。
震災当日の津波では日和山を超える高さの津波が地域を襲い、全てを飲み込みました。
またすぐそばでは閖上太鼓保存会の皆さんが追悼演奏を披露されていました。
閖上太鼓演目の中でも私の一押しは「閖上大漁節」です。ぜひYOUTUBEで聞いてみてください。
※震災前、名取市閖上地区は漁業の町で大変活気がありました。
孫や子どもの入学式などでお金が必要になると、漁師の皆さんは「太平洋銀行に行く」といって漁に出てお金を稼いでいたそうです。
本日の最後はゆりあげビーチへ。
震災の日、この場所から9mを超える津波が閖上の町を襲いました。
現在でも40名近い方が行方不明のままで、不明者や手がかりの捜索が続けられています。
二日目は震災遺構仙台市立荒浜小学校を訪問しました。
津波発生時、校舎の2階まで津波が押し寄せ大きな被害を受けた場所です。
この時、住民や小学生など約320名が避難していました。
津波の到達位置や漂流物によってできた傷跡が生々しく残されています。
校内の展示ブースには震災前にあった地域のジオラマや防災マニュアルなどが展示されていました。
また順路の最後には津波が到達して壊れてしまった体育館の時計がありました。
時計の時間は津波の到達した15:55のままです。
最後は荒浜小学校の目の前にある避難の丘へ。
この地域では4.6mの津波が到達しており、有事の際には5300人が避難できる場所として作られました。
今回の宮城県訪問は以上となります。
2011年3月11日に発生した東日本大震災によってこれまでに確認された死者と行方不明者は、避難生活などで亡くなった「震災関連死」も含めると、2万2212人に上ります。
また12年が過ぎた今でも避難生活を余儀なくされている方もおられます。
まだ東日本大震災は終わっていません。
そんな中ですが、今後は西日本で南海トラフ地震が予想されています。
本校がある箕面市も5強~6弱の揺れが想定されています。
「地震が来るから怖い」で終わるのではなく、では今何ができるのか?どうすれば被害を低減できるのか?を各々が考えて備えることこそが大事だと思います。
備えあれば憂いなし。この言葉に尽きると思っています。